【連載】静かに修正不能になる組織|第1回

判断を組織全体に届けるために

静かに壊れていく組織は、なぜ誰にも止められないのか

組織は、ある日突然壊れるわけではない。

倒産や不祥事、トップ交代といった「事件」が起きたとき、私たちはそれを崩壊の瞬間だと思いがちだが、実際にはそのずっと前から、組織は静かに修正不能へ向かっている。

会議は定期的に行われている。

報告書も上がっている。

数値も、少なくとも表面上は悪くない。

それでも、ある時ふと

「もう立て直せないのではないか」

という感覚が立ち上がる。

この感覚は、声高な失敗や混乱よりも、はるかに遅れてやってくる。

本当に危険なのは、問題が起きている組織ではない。

問題が起きていないように見える組織である。


修正不能は「判断の欠如」ではなく「判断の不在」から始まる

多くの人は、組織が壊れる原因を

「判断が間違っていたから」

「能力の低い人が上にいたから」

と説明しようとする。

だが、現場をよく観察すると、違う景色が見えてくる。

そこには、判断がまったく行われていないわけではない。

むしろ、判断は日々、無数に行われている

・前例通りに進める

・波風が立たない選択をする

・自分の担当範囲だけを最適化する

こうした判断は、一つひとつ見れば合理的だ。

少なくとも、その場では正しい。

問題は、それらの判断が

組織全体にどんな影響を及ぼすかを、誰も引き受けていないことにある。

結果として起きるのは、

「判断の欠如」ではなく、

「全体としての判断の不在」だ。


なぜ「誰も悪くない」のに、修正不能になるのか

静かに修正不能になる組織には、共通した特徴がある。

誰も露骨な失敗をしていない。

誰も職務を放棄していない。

誰も極端に無責任ではない。

それでも、

・重要な論点が議論されなくなる

・違和感が言語化されなくなる

・修正案が出なくなる

こうした現象が、少しずつ積み重なっていく。

なぜか。

理由は単純だ。

判断が「自分の範囲」で完結してしまっているからである。

「ここまでは自分の責任だが、それ以上は知らない」

「全体のことは、もっと上の誰かが考えるだろう」

この分業意識自体が悪いわけではない。

組織には役割分担が必要だ。

だが、

「自分の判断が、どこまで影響するのか」

を誰も考えなくなった瞬間、

組織はゆっくりと修正不能へ向かい始める。


危機は、後からしか名前がつかない

静かな劣化の厄介な点は、

その最中にいる人ほど、危機を危機だと認識できないことだ。

・大きなトラブルは起きていない

・数値はまだ持ちこたえている

・現場は忙しく回っている

だから、違和感は

「個人の感覚」

「言い過ぎ」

「考えすぎ」

として処理される。

そしてある日、振り返ったときに初めて、

「あの頃、もう戻れなかったのだ」

と理解する。

修正不能とは、

突然訪れる状態ではない。

修正の機会を、静かに失い続けた結果である。


この連載で扱うこと

この連載では、

声を荒げるリーダー論や、

特定の能力を称揚する話はしない。

扱うのは、もっと地味で、しかし本質的な問いだ。

  • 判断は、どこで止まってしまうのか
  • なぜ判断が組織全体に届かなくなるのか
  • どうすれば修正可能性を残せるのか

そして何より、

全てのマネージャーが俯瞰的である必要はない。
しかし、「自分の判断が組織全体に影響を与えると理解していないマネージャー」が増えたとき、
組織は静かに修正不能へ向かう。

この事実を、

個人論ではなく、構造として考えていく。

次回は、

「なぜ、すべてのマネージャーが俯瞰的である必要はないのか」

という、一見逆説的な問いから話を進めたい。


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