緊急時マネジメントにおける「声の大きさ」という誤解

組織において緊急事態が発生したとき、しばしば観察される行動がある。

それは、権限を持つ立場の人物が声を荒げ、強い言葉で現場を叱咤することで「事態を掌握しようとする」姿勢である。

多くの組織では、これがあたかも危機対応におけるリーダーシップの発露であるかのように理解されてきた。しかし経営論的に見ると、この行動は必ずしも合理的ではなく、むしろ危機対応能力を低下させる要因となることが多い。

緊急事態は「統制」ではなく「構造」の問題である

緊急時に本質的に求められるのは、誰かの気迫や声量ではない。

必要なのは、

  • 情報がどこに集約されているか
  • 誰が何を判断するのか
  • 判断と実行がどのように分離されているか

というマネジメント構造の健全性である。

危機は、通常業務よりも情報が錯綜し、不確実性が高い。

このような状況では、単一の人物が前面に立って現場を直接統制しようとするほど、意思決定は集中し、ボトルネックが発生しやすくなる。

経営の観点から見れば、これは「リーダーが機能している状態」ではなく、「リーダー自身が制約条件になっている状態」である。

「率先垂範」が機能する条件と、しない条件

現場に立つこと自体が否定されるわけではない。

定型業務、単純作業、判断余地の少ない状況においては、率先垂範は有効に機能する。

しかし現代の組織が直面する多くの緊急事態は、

  • 技術的・専門的要素が強い
  • 情報が分散している
  • 状況が刻々と変化する

といった特徴を持つ。

この条件下では、上位者が作業者として振る舞うほど、

全体像を把握し、調整し、次の判断を下す機能が失われる。

緊急時における管理職の価値は、「最前線に立つこと」ではなく、

最前線が機能し続ける状態を保つことにある。

声の大きさは安心を与えるが、情報は減ら

怒声や強い言葉は、一時的に「統制が取れている感覚」を周囲に与える。

しかし、その代償として失われるものは大きい。

  • 報告が萎縮する
  • 不都合な情報が上がりにくくなる
  • 現場の自律的判断が停止する

結果として、組織は「静かだが見えていない状態」に陥る。

経営論の観点では、これは最も危険な状態である。

危機対応において重要なのは、安心感ではなく状況認識の精度だからだ。

緊急時マネジメントの再定義

ここで、緊急時のマネジメントを次のように定義できる。

緊急時マネジメントとは、

問題を直接解決する行為ではなく、

問題解決行為が同時多発的に機能する構造を維持することである。

この定義に立てば、

怒鳴ることも、現場に飛び込むことも、本質的な要件ではない。

必要なのは、

  • 役割の明確化
  • 情報の集約と切り分け
  • 判断の優先順位付け

という、極めて冷静で構造的な行為である。

危機が露呈させるのは「問題」ではなく「組織の成熟度」

緊急事態は、組織の弱点を作り出すのではない。

もともと存在していたマネジメントの癖や限界を、可視化する。

声の大きさに依存する組織は、平時には回っているように見えても、

不確実性が高まった瞬間に脆さを露呈する。

逆に、危機の中でも淡々と役割が機能する組織は、

日常から構造としてのマネジメントが成熟している。

まとめ

緊急時に問われるのは、誰が一番強く叱責したかではない。

誰が最後まで、全体を見失わなかったかである。

経営とは、感情を増幅させる技術ではなく、

不確実性の中でも機能し続ける構造を設計する営みである。

危機の現場で静かに指揮を執る姿こそ、

現代におけるリーダーシップの一つの完成形と言えるだろう。

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