― 判断を組織全体に届けるために
すべてのマネージャーが俯瞰的である必要はない
マネジメントの現場では、よくこんな言葉が使われる。
「もっと俯瞰して考えてほしい」
「全体を見て判断してほしい」
この言葉自体は、間違っていない。
だが同時に、とても雑に使われやすい言葉でもある。
俯瞰できないから問題なのだ。
俯瞰できる人が足りないから組織が停滞するのだ。
そうした説明は分かりやすいが、
本質からは少しずれている。
結論から言えば、
すべてのマネージャーが俯瞰的である必要はない。
むしろ、全員が俯瞰し始めた組織は、
判断が遅くなり、現場は動かなくなる。
俯瞰は「徳」ではなく「役割」である
俯瞰という言葉は、ときどき
「成熟していること」
「頭が良いこと」
「上に立つ人の資質」
のように扱われる。
だが、俯瞰は人格的な徳目ではない。
機能であり、役割である。
現場で必要なのは、
・判断を早く下す人
・割り切って進める人
・細部を詰め、実行を前に進める人
こうした役割がなければ、組織は回らない。
全員が
「本当にこれでいいのだろうか」
「副作用はないだろうか」
と立ち止まり始めたら、
現場は麻痺する。
俯瞰は、
全員が常時持つべき態度ではない。
問題は「俯瞰できないこと」ではない
では、なぜ多くの組織で
「俯瞰が足りない」という違和感が生まれるのか。
それは、
俯瞰できない人が多いからではない。
俯瞰という機能が、どこにも存在していない
ことが問題なのだ。
・現場は現場の最適を追う
・中間管理職は目の前のKPIを守る
・上位層は大きな方向性だけを見る
それぞれが自分の役割を果たしているようで、
判断の接続点が失われている。
その結果、
誰も「全体としての判断」を引き受けない状態が生まれる。
俯瞰がない組織で起きること
俯瞰が機能していない組織では、
次のような現象が起きやすい。
・部分最適が積み重なる
・違和感はあるが、言語化されない
・「それは自分の管轄ではない」という言葉が増える
誰も間違ったことをしていない。
だが、誰も全体を修正しない。
ここで重要なのは、
これは怠慢の問題ではないという点だ。
多くの場合、
人は与えられた役割を
極めて真面目に果たしている。
それでも、
俯瞰という機能が欠けていると、
組織は静かに歪んでいく。
俯瞰は「集中配置」されるべきである
俯瞰は、分散させると弱くなる。
全員が少しずつ俯瞰するより、
限られた場所に、明確に置かれているほうが機能する。
・戦略
・再設計
・前提の見直し
・長期的な影響の評価
こうした判断は、
誰かが「役割として」引き受けなければならない。
そして重要なのは、
その役割が
人格ではなく、構造として存在していることだ。
マネージャーに最低限必要なもの
では、
すべてのマネージャーに必要なものは何か。
それは、俯瞰力ではない。
最低限必要なのは、これだ。
「自分の判断が、組織全体に影響を与える可能性がある」
と理解していること。
自分の判断が
・どこで止まり
・どこまで届き
・どんな副作用を生むか
それを完全に把握する必要はない。
だが、
「自分の判断は自分の範囲だけの話ではない」
という認識が欠けたとき、
判断は組織から切り離される。
全員が俯瞰する必要はない。しかし
繰り返すが、
すべてのマネージャーが俯瞰的である必要はない。
だが、
自分の判断が
「組織全体に影響を与えると理解していないマネージャー」が増えたとき、
組織は静かに修正不能へ向かう。
これは、例外なく起きる。
俯瞰は才能ではない。
責任感覚でもない。
判断を、どこまで引き受けているか
という構造の問題だ。
次回は、
「判断しているつもりで、実は判断していない」
という状態について、
もう一段、踏み込んで考えてみたい。

