会議や相談は「時間をもらっている」行為である
会議が終わったあとに残る、あの感覚
会議が終わったあと、こんな感想を持ったことはないでしょうか。
- 何を決めたのか、よく分からない
- 結局、次に何をすればいいのか曖昧
- 時間だけが過ぎた気がする
一方で、同じ60分でも、
- 話が早かった
- 迷いが減った
- その後の作業が一気に進んだ
という会議も、確かに存在します。
この違いは、進行スキルや発言量の差ではありません。
もっと手前の認識の違いです。
会議や相談は「他者の時間への介入」
会議、相談、説明。
どれも日常的な業務ですが、少し角度を変えて見ると、
共通点があります。
それは、
他者の時間を一斉に使っている
という点です。
参加者はそれぞれ、
- 本来やるはずだった作業
- 思考していたテーマ
- 集中していた流れ
を一度止めて、その場に来ています。
つまり会議とは、
「集まるのが当たり前の場」ではなく、
時間をもらって成立している場です。
この認識があるかどうかで、会議は変わる
「他者の時間を使っている」という自覚がある人は、
自然と次のことを考えます。
- なぜ集まる必要があるのか
- ここで揃えたい認識は何か
- 終わったとき、何が変わっているべきか
逆に、この自覚が薄いと、
- とりあえず集める
- 話しながら考える
- 決まらなくても仕方ない
という進め方になりがちです。
どちらが良い・悪いというより、
時間に対する姿勢の差が、そのまま会議の質に表れます。
「会議は無駄だ」と言いたいわけではない
ここで誤解してほしくないのは、
「会議は悪だ」「相談するな」という話ではありません。
問題なのは、
- 会議を開くことではなく
- 時間を使っているという前提が抜け落ちること
です。
前提が抜けると、
- 目的が曖昧でも進めてしまう
- 決まらなくても区切らない
- 誰のための時間かが分からなくなる
結果として、
「なんとなく疲れる会議」が量産されます。
価値のある会議は、何をしているか
価値のある会議には、共通点があります。
- 何を揃える場なのかが明確
- 全員が同じ問いを見ている
- 終了時点で「これが決まった」と言える
逆に言えば、
認識が揃っていないまま終わる会議は、
他者の時間を使い切れていない
とも言えます。
相談も同じ構造を持っている
相談も、会議とまったく同じです。
- 何を相談したいのか
- どこが未確定なのか
- 何を決めたいのか
これが整理されていないまま相談すると、
相手はその場で考えることになります。
つまり、
自分が使うはずだった思考時間を、
他者の時間に移している
という状態です。
これは協働ではなく、
単なる時間の移動です。
「時間を奪っている」と考えると、行動が変わる
少し強い言葉ですが、
会議や相談を
他者の時間を奪っている行為
と捉えると、行動が変わります。
- 事前に整理しようとする
- 不要な人を呼ばなくなる
- 早く終わらせようと判断できる
これはストイックさではなく、
他者理解の自然な帰結です。
次回予告
次回は、
「すんなり届くパス」という視点から、
情報共有やアウトプットの質を掘り下げます。
なぜ「情報を出したのに進まない」のか。
その答えは、
情報と“使える資材”の違いにあります。

