前回は、AI時代に必要な基礎知識について、「頭の中の図書館」という例えで考えてみました。
すべてを覚えている必要はない。
しかし、どんな棚があり、どこを探せばよいのか。その分類体系やインデックスは、自分の中に持っておく必要がある。
それがなければ、AIが持ってきた情報が適切なのか、何が抜けているのかにも気づけません。
では、頭の中に「図書館」があれば十分なのでしょうか。
もう一つ必要なことがあります。
AIが持ってきた「答えっぽい何か」を、
本当にそうなのか、と考える力です。
きれいな文章は、正しい文章ではない
生成AIを使っていて、怖いと感じることがあります。
間違った回答をすること。
もちろん、それもあります。
しかし、それ以上に厄介なのは、
間違っていても、それらしく見えることです。
文章は整っている。
論点も整理されている。
理由も書いてある。
結論まである。
場合によっては、専門用語も使われています。
そのため、読んでいる側には、
「なるほど」
と思わせる力があります。
しかし、
文章が論理的に見えることと、その内容が妥当であることは別です。
ここを区別できるかどうかが重要になります。
「なぜ?」を一つ戻してみる
例えばAIに、
「この会社の売上が落ちた原因を分析してください」
と依頼したとします。
AIから、
「競合の増加によって顧客が流出したことが主な原因と考えられます」
という回答が返ってきた。
もっともらしく見えます。
しかし、そこで一度止まってみます。
なぜ、競合が原因だと言えるのか。
競合が増えたという事実はあるのか。
顧客が競合へ流れたというデータはあるのか。
売上が落ち始めた時期と、競合の参入時期は一致しているのか。
他の原因では説明できないのか。
こうして一つずつ戻ってみると、
「競合が原因」という結論が、実は与えられた情報からは導けないことがあります。
AIが嘘をつこうとしたわけではありません。
与えられた情報から、それらしい説明を組み立てただけです。
事実と解釈を分ける
仕事の中でも、私たちはよく事実と解釈を混ぜてしまいます。
「最近、若手社員の意欲が下がっている」
これは事実でしょうか。
「退職者が3人出た」
これは事実として確認できます。
しかし、
「若手社員の意欲が下がっている」
は、その事実に対する解釈かもしれません。
退職理由は別にあるかもしれない。
そもそも3人という数字が多いのか少ないのかも、比較しなければ分かりません。
AIにこうした情報を渡すと、その解釈を前提として話を進めることがあります。
「若手社員の意欲低下を改善するには……」
と、対策まで考えてくれる。
すると、いつの間にか、
「若手社員の意欲が下がっている」
という最初の解釈が、事実のように扱われてしまいます。
AIの回答を読むときには、
どこまでが事実で、どこからが解釈なのか。
を分けて見る必要があります。
前提が間違っていれば、その先も変わる
AIとのやり取りでは、入力した情報が前提になります。
「A社は価格が高いため、顧客が減っています。対策を考えてください」
と聞けば、AIは価格を前提に対策を考えます。
値下げ。
付加価値の訴求。
価格体系の変更。
さまざまな案を出してくれるでしょう。
しかし、
「価格が高いため顧客が減っている」
という最初の前提が間違っていたらどうでしょう。
AIがどれだけきれいに考えても、その後の議論は違う方向へ進んでしまいます。
これはAI特有の問題ではありません。
人間同士の会議でも同じです。
ただAIの場合は、非常に速く、非常に整った形で、その先まで進んでしまいます。
だからこそ、
結論を見るだけではなく、その結論が何を前提にしているのかを見る。
ことが重要になります。
数字があると、さらに正しく見える
もう一つ注意したいのが数字です。
例えば、
「この施策によって業務効率を30%改善できます」
と言われると、妙に具体的に感じます。
では、その30%はどこから出てきたのでしょうか。
実測値なのか。
過去の事例なのか。
何らかの統計なのか。
単なる仮定なのか。
数字が入るだけで、文章の説得力は大きく上がります。
しかし、
具体的であることと、根拠があることは同じではありません。
AIが提示した数字を見るときほど、
「その数字はどこから来たのか」
を確認する必要があります。
論理思考は、AIに勝つためのものではない
ここまでの話は、いわゆる「論理思考」に関係します。
前提と結論がつながっているか。
事実と解釈が分かれているか。
因果関係が成立しているか。
別の説明はできないか。
根拠は十分か。
こうしたことを考える力です。
しかし、AIより論理的に考えられる人間になろう、という話ではありません。
AIは、人間より速く、多くの情報を整理できます。
場合によっては、自分では思いつかないような論点も提示してくれます。
だからこそ、それを利用すればよい。
重要なのは、
AIが作った論理を、自分が追えることです。
「なぜこの結論なのか」
と聞かれたとき、
「AIがそう言ったから」
ではなく、
「この事実を、このように捉え、この前提から考えると、この結論になる」
と自分で説明できるか。
そこが一つの境界になるように思います。
分からないことを、分からないと言えるか
AIの回答を判断するというと、すべての間違いを自分で見抜かなければならないように感じるかもしれません。
もちろん、それは無理です。
前回も触れたように、マネージャーがすべての領域の専門家になる必要はありません。
むしろ重要なのは、
「ここまでは自分で判断できる」
「ここから先は分からない」
「これは専門家に確認した方がよい」
という境界を持つことです。
分からないものを分かったつもりで進めるより、
自分では判断できないと判断する。
これも立派な判断です。
AIが「答えっぽい何か」を簡単に作ってくれるようになると、この境界が見えにくくなります。
だからこそ、自分がどこまで理解しているのかを確認する必要があります。
「なるほど」で終わらせない
AIと話していると、
「なるほど」
と思うことがたくさんあります。
新しい視点をもらえる。
知らなかったことを教えてもらえる。
考えを整理してもらえる。
それ自体は、とても価値があります。
ただ、
「なるほど」
と
「だから、この判断でよい」
の間には、大きな距離があります。
AIが返してくる「答えっぽい何か」を、
事実なのか。
解釈なのか。
仮説なのか。
根拠は何なのか。
別の可能性はないのか。
自分たちにも当てはまるのか。
そうやって一度、自分の頭を通してみる。
AI時代に必要な論理思考とは、難しいフレームワークを覚えることではなく、
「本当にそうなのか」と、一度立ち止まれることなのかもしれません。
そして、そこまで確認した上で、最後に残る問題があります。
AIの回答を理解し、妥当だと考えた。
では、
誰が決めるのでしょうか。
次回は、
「AIに判断を委ねるということ」
について考えてみたいと思います。

