前回は、AIが返してくる「答えっぽい何か」を、私たちはどう評価すればよいのかについて考えました。
事実と解釈を分ける。
前提を確認する。
根拠を見る。
別の可能性を考える。
そして、自分では判断できない領域であれば、それを認識する。
ここまでできれば、AIをかなり有効に使えるようになります。
しかし、その先にもう一つ、大きな問題が残ります。
では、誰が決めるのか。
という問題です。
「AIはA案を推奨しています」
例えば、あるプロジェクトについて三つの案があるとします。
A案、B案、C案。
それぞれのメリットとデメリットをAIに整理してもらう。
さらに、
「どの案が最も適切ですか?」
と聞く。
するとAIは、
「総合的に判断すると、A案を推奨します」
と答えるかもしれません。
理由も説明してくれます。
コスト。
効果。
リスク。
実現可能性。
きれいに比較されています。
そこで会議で、
「AIはA案を推奨しています」
と説明する。
では、A案に決めたのは誰なのでしょうか。
AIでしょうか。
それとも、その回答を採用した人でしょうか。
上司に聞くことと、何が違うのか
これはAIが登場する以前から、組織の中にあった問題でもあります。
部下から、
「AとB、どちらがいいでしょうか」
と相談される。
上司が、
「Aでいこう」
と答える。
そして部下はAを実行する。
この場合、少なくとも判断した人は明確です。
上司です。
では、
「AIに聞いたところ、Aがよいとのことでしたので、Aで進めました」
ではどうでしょう。
一見すると、自分でAIを活用して判断したように見えます。
しかし、
上司への判断の丸投げが、AIへの判断の丸投げに変わっただけ
という可能性があります。
しかもAIの場合、そのことが見えにくい。
AIに質問したのも自分。
回答を読んだのも自分。
資料を作ったのも自分。
最終的にボタンを押したのも自分。
行動だけを見ると、自分で判断しているように見えるからです。
AIは決めることができる
技術的には、AIに「決めてもらう」ことはできます。
「どちらを選ぶべきですか」
「最も良い案を一つ選んでください」
「採用すべき候補者を順位付けしてください」
そう依頼すれば、AIは何らかの結論を返してくれます。
しかし、
結論を出すことと、判断することは同じなのでしょうか。
判断には、その会社の事情があります。
これまでの経緯があります。
関係する人がいます。
数字には表れない事情があります。
そして何より、
その判断によって何が起きるのかという責任があります。
AIはA案を推奨できます。
しかし、A案を実行した結果について責任を負うことはありません。
判断には「引き受ける」が含まれる
判断という言葉を、
「複数の選択肢から一つを選ぶこと」
と考えると、AIでもできそうです。
しかし仕事における判断は、それだけではないように思います。
情報が完全には揃っていない。
未来も分からない。
どの案にもリスクがある。
それでも、どこかで決めなければならない。
そして、
決めた結果を引き受ける。
ここまで含めて、判断なのではないでしょうか。
AIは選択肢を比較できます。
リスクも整理できます。
推奨案も提示できます。
しかし、
「この条件なら、私はAで進める」
と言うのは人間です。
「AIが言ったから」は責任にならない
もしA案がうまくいかなかったとき、
「AIがA案を推奨したので」
という説明は通用するでしょうか。
おそらく、難しいでしょう。
AIの回答を採用したのは誰なのか。
どの情報をAIに渡したのか。
何を条件として設定したのか。
他の案をどう評価したのか。
どのリスクを許容したのか。
そこには必ず、人間側の判断があります。
AIに判断を委ねたつもりでも、
責任までAIに移ったわけではありません。
ここは、AIを業務で使う上で非常に重要な境界だと思います。
判断しない方が安全になる
ただ、組織の中では別の力も働きます。
自分で判断すると、間違えたときに責任が生じる。
上司に聞いて決めてもらえば、
「上司の判断でした」
と言える。
会議で全員の合意を取れば、
「みんなで決めました」
と言える。
そしてAIに聞けば、
「AIでも確認しました」
と言える。
判断することにはリスクがあります。
だから組織によっては、
自分で判断しない方が合理的
になってしまうことがあります。
これはAIの問題ではありません。
もともと組織の中にあった問題です。
AIは、その新しい委譲先になり得るということです。
AIが判断を奪うのではない
「AIによって人間の判断力が失われる」
という議論があります。
もちろん、そうした側面もあるかもしれません。
しかし、少し違う見方もできます。
AIが判断を奪っているのではなく、
もともと判断を避けていたことが、AIによって見えにくくなっている。
上司に聞いていた。
会議に委ねていた。
前例に従っていた。
多数派に合わせていた。
そこに、
「AIに聞いた」
という新しい選択肢が加わった。
そう考えると、AI時代の問題は新しいようでいて、実は非常に古いマネジメントの問題なのかもしれません。
AIは「判断材料」を増やす
では、AIを判断に使うべきではないのでしょうか。
そうではありません。
むしろ、積極的に使えばよいと思います。
選択肢を出してもらう。
メリットとデメリットを整理してもらう。
自分の案への反論を考えてもらう。
見落としているリスクを探してもらう。
別の立場から評価してもらう。
AIは、判断材料を増やすための非常に強力な道具です。
しかし、
判断材料が増えることと、判断そのものを委ねることは違います。
AIを使えば使うほど、この線を意識する必要があります。
最後に「私は」を置けるか
AIに相談する。
AIから「答えっぽい何か」が返ってくる。
基礎知識を使って、その位置づけを考える。
論理を確認する。
必要なら、さらにAIと議論する。
専門家にも確認する。
そこまでやった最後に、
「AIはこう言っています」
ではなく、
「私は、こう判断します」
と言えるか。
ここが、AIへの相談とAIへの判断委譲を分ける境界なのではないでしょうか。
AIがどれだけ高度になっても、組織の中で誰かが決めなければならないことは残ります。
そして、その判断の結果を誰かが引き受けなければなりません。
では、AIがこれだけ多くのことを考え、整理し、提案してくれるようになったとき、
マネージャーには、何が残るのでしょうか。
次回は、
「AI時代にマネージャーは何をするのか」
について考えてみたいと思います。

