生成AIが、仕事の中に当たり前に入ってくるようになりました。
分からないことがあればAIに聞く。
文章を作るときもAIに相談する。
企画を考えるときも、まずAIに意見を求めてみる。
私自身も、日常的にAIを使っています。
以前なら何時間もかけて調べていたことが、数分で整理できる。
自分では思いつかなかった視点を提示してくれることもあります。
とても便利です。
一方で、最近少し気になる言葉があります。
「AIに聞いてみました」
という言葉です。
もちろん、AIに聞くこと自体に問題があるわけではありません。
問題は、その後です。
「AIがこう言っています」
何かについてヒアリングしたとき、
「AIに聞いたら、こういう回答でした」
と返ってくることがあります。
そこで、もう少し聞いてみます。
「あなたはどう思いますか?」
すると、少し答えに詰まる。
あるいは、
「AIはこう言っていますので……」
と、再びAIの回答に戻ってしまう。
ここに、少し違和感があります。
AIに聞いたことと、自分で考えたことが、いつの間にか同じになっていないでしょうか。
相談相手が変わっただけかもしれない
これは、AIが登場する以前からあった問題でもあります。
何か問題が起きる。
自分では判断せず、上司に聞く。
「どうしたらいいですか?」
上司から答えをもらい、その通りにする。
では、相談相手がAIになったらどうでしょう。
問題が起きる。
AIに聞く。
AIが何かを返してくる。
その内容を、そのまま仕事に使う。
一見すると、自分でAIを活用して仕事を進めているように見えます。
しかし構造だけを見ると、
「上司に聞く」が「AIに聞く」に変わっただけなのかもしれません。
むしろAIの場合、そのことに気づきにくくなります。
自分で質問を入力し、自分で回答を読み、自分で資料にまとめる。
一連の作業を自分で行っているため、「自分で考えた」という感覚を持ちやすいからです。
AIが返してくるのは「答えっぽい何か」
生成AIの便利なところは、質問すると、ほとんどの場合何かを返してくれることです。
情報が不足していても、ある程度推測して答えてくれます。
曖昧な質問でも、それなりに整理してくれます。
しかも、その文章は非常に自然です。
だからこそ、厄介でもあります。
AIが返してくるものは、「答え」とは限らないからです。
事実かもしれない。
推測かもしれない。
一般論かもしれない。
こちらが与えた前提そのものが間違っているかもしれない。
それでもAIは、それらを自然な文章として返してきます。
言ってみれば、AIが返してくるのは、
「答え」ではなく、「答えっぽい何か」です。
そして、「答えっぽい何か」が返ってきたところで、仕事は終わりません。
むしろ、そこからが人間の仕事です。
「答えっぽい何か」をどう扱うか
AIから返ってきた内容について、
なぜ、この結論になったのか。
前提は正しいのか。
事実と推測は分かれているのか。
他の可能性はないのか。
自分たちの状況にも当てはまるのか。
そして、最終的に採用するのか。
こうしたことを考えた上で、初めて仕事としての判断になります。
AIが出した文章をコピーして資料に貼ることと、その内容を判断して使うことは、まったく別の行為です。
答えを出すことと、判断すること
これまで、仕事ができる人の一つの特徴は「答えを持っていること」だったのかもしれません。
経験がある。
知識がある。
聞けば答えてくれる。
しかしAIは、多くの領域で「答えっぽい何か」を瞬時に作れるようになりました。
そうなると、人間に求められるものも少し変わります。
「答えっぽい何か」を作ることよりも、
それをどう評価するか。
何が足りないのか。
どこがおかしいのか。
何を追加で確認すべきなのか。
そして、最終的に自分はどう判断するのか。
こちらの能力の方が重要になってくるのではないでしょうか。
「AIに聞いてみました」の、その先
AIを使わない方がよい、という話ではありません。
むしろ、積極的に使えばよいと思います。
ただ、
「AIに聞いてみました」
で思考を終わらせない。
AIに相談する前に、自分は何を考えていたのか。
AIから「答えっぽい何か」が返ってきた後、自分は何を考えたのか。
そして最後に、
「では、あなたはどう考えるのですか?」
と聞かれたとき、自分の言葉で答えられるか。
AIが考えることを手伝ってくれる時代だからこそ、この問いは以前より重要になっているように思います。
では、そのために、そもそもAIに何を聞けばよいのでしょうか。
次回は、AIへの「質問の仕方」ではなく、その質問が生まれるまでに何を考えているのか。
「AIに何を問うのか」
について考えてみたいと思います。

